後藤ゆう子です。
私は、父が転勤族であったため、結婚するまでに9回転居しており、幼稚園、小学校、中学校も全て一度は転校しています。いつも数年で住まいも人間関係もリセットされる生活でした。
そんな私の夫も転勤族で、結婚して最初の4年で、2回引っ越しを経験しました。
そして、1999年10月に当時の田無市に引っ越してきて今日まで15年半がたちました。今では、西東京が人生で一番長く暮したまちになりました。
引っ越してきた時は娘が生後3カ月でした。知らない土地で、どこに買い物に行けばいいのか、どこの小児科を受診すればいいのか、ごみの出し方はどうなのかとか、ちょっとしたことを相談する人が誰もおらず、本当に心細かったことを思い出します。
当時は「公園デビュー」という言葉が流行っており、今なら「デビュー」なんて大げさな、と笑い飛ばせることも、真剣に悩んでいました。
転機が訪れたのは、意外に早く引っ越しから3週間ほどたった日の買い物帰りでした。
娘を抱っこして、スーパーの大きな袋をさげて自宅マンションのエレベーターを降りた時、目の前に、にこにこしたとても感じのよい女性が立っていて、「あなた、赤ちゃんがいてお買いものたいへんでしょう?玄関先まで届く生協に入らない?」と声を掛けてくださったのです。もう二つ返事で加入いたしました。これが生活クラブ生協との出会いです。
その方は、その足でマンション内の先輩ママを紹介してくださり、先輩ママは児童館のサークルを紹介してくださって、あっという間に人間関係がひろがりました。
その後、生活クラブの委員などを何年か続けていく中で、私の人間関係がどんどん広がっていきました。
現在私は、生活クラブ生協の店舗デポー西東京で働いています。
お店ですので、毎日いろんな方がお買い物にみえます。
赤ちゃんを抱えている人がいらっしゃると、あの日の自分が重なりますし、ご年配の方がいらっしゃると実家の両親と重なり声をかけずにはいられません。同年代とは、思春期の子どもの話や天井知らずの教育費の話で盛り上がります。人見知りで内気だった私の今の姿を見ると、実家の両親や学生時代の友人も腰を抜かすほどの変貌だと思います。
私は、大学の3、4年で政治学のゼミに所属していながら、心の中で政治なんて特別な人が行うもの、一般市民には無関係なものという考えがありました。政治イコール安部政権、市民とは無関係ない遠いこと、というものすごく大雑把な、残念なイメージしか湧かない私でした。
しかし、脱原発の署名を一生懸命集めても再稼働され、直接請求の署名を集めても否決されるという悔しい思いもし、生活者ネットの先輩や仲間の話を聞いたり、資料を読んだり、自分の頭を整理すると、暮らしの中の身近な問題を解決すること、食べ物であったり、ごみであったり、歩道の段差であったり、それも政治なんだと思い至りました。
6年半生協の店舗で培った、人の話を聞く力、ついついもらい泣きしてしまうほどの共感力、そしてここで暮らして手に入れた大切な仲間を武器に市議選に挑戦しようと決心いたしました。
人生が90年あるとして、それを24時間時計に換算すると、私はただいま、昼の12時半です。
まだまだ仕事ができる時間帯だと、自分に発破をかけて全力で頑張りたいと思います。
とはいえ、まだまだ足りないところがいっぱいございます。どうか皆様応援をよろしくお願いいたします。