認知症の人が生き生きと暮らせる社会をつくることは普通の人にとっても暮らしやすい社会をつくること
今年で25回目をむかえた「No!寝たきりデー」に出席しました。
19年前に亡くなった同居の祖母は晩年に、幻視や手足の震え、歩行障害に苦しみ最後の数年は寝たきりになりました。今はそれがちょっとインターネットなどで調べれば「レビー小体型認知症」だと素人でも判断ができるのですが、当時は幻視を訴える祖母をなだめるのに苦労し、介護する母の負担ばかり心配していました。
今回のテーマは「私は認知症をどう生きたいか‐本人と家族に地域が寄り添う‐」でした。当時は考えもしなかった、あの時の祖母の姿を自分に起こることとしてお話をうかがいました。
まず冒頭、国内では、認知症の人は462万人、予備軍は400万人、65歳以上の4人に1人が認知症または予備軍であるという平成25年6月に厚生省が発表したショッキングなデータが紹介されました。
認知症の一番の危険因子が高齢化で、世界で最も高齢化が進んでいる日本では仕方がないことかもしれません。
また日本は世界的に見て精神科病床が突出して多く、また認知症が社会に広く知られるようになったことで、早期に病院を受診し認知症と診断される人が多いのも理由とのことでした。
過剰な病床で認知症を病気と捉え入院させられる人が増えることが、病院経営という経済優先の結果で、そのため社会の進歩や、人々の認知症理解を進めることの妨げになっていることは、良くないことだと思います。
認知症とは、病名でなく「ある状態」であると意識を変えることで、見えてくることがあります。「ある状態」とは正常なレベルまで発達した知能が、正常以下にまで低下し社会生活に支障を来たすようになった状態とのことで、目が見えない状態、耳が聞こえない状態、下肢が不自由な状態と同様に考えると、適切な支援があれば、住み慣れた我が家や地域で暮らすこともできそうです。
現在確実な予防法や薬がない中で、認知症の進行を遅らせ、本人が希望を持って生きることができる生活支援は、言葉で表現することが難しくなったその人のメッセージを読み取るケア、その人が活躍できる場や必要とされる場を提供するといった生きがいを満たすケアをし、お世話される存在にしないことが重要だと理解しました。
先生の「認知症の人が生き生きと暮らせる社会をつくることは普通の人にとっても暮らしやすい社会の実現につながる」という言葉が私だけでなく参加者全員の心に響いたと思います。